クルーズ船の船尾 (Cruise Ship Stern)

オランダ人の老婆はさっきからしつこいほど何度もプールを往復している。海には虹がかかり、柵に腰かけた夫婦やカップルたちはみな語りあいながら景色を眺めていた。子供たちは船と並んで泳ぐエイの群れに向けてお菓子を投げ与えている。僕はチェアに寝そべって、読みかけの本をお腹の上に置いたまま、手に持った一枚の写真を眺めていた。写真にはどこか居心地の悪そうな微笑みを浮かべた女がひとりで映っている。そのとき僕は彼女との思い出と戯れていたのだが、その心地よい気分は、だんだん船酔いに邪魔されつつあった。まさかクルーズ船で船酔いに襲われるなどとは予期していなかった。しかしクルーズ船だってもちろん船なので揺れる。つまり船酔いからは逃れられない。当たり前のことだった。オランダ人老婆を眺めながら、水に入ってみようか、とも思う。でも吐き気をこらえながら泳ぐのはきっと楽しくないだろう。もちろん写真を眺めるのだって特に楽しいわけでもなかった。僕は写真を本のページの間に挟んで閉じた。そしてそれきりもう何も考えないようにつとめた。豪華客船の船旅は、想像したよりずっと窮屈で不自由だった。僕は確かにうんざりしはじめている。そのことを認めたくなかった。せっかく高い金を払ったのに。でももう海や空や遠くの島の形を眺めるのにも飽きてしまった。昨夜、夕食のときにちょっと言葉を交わした英国人の夫婦がスマートフォンで虹を写真に撮っている。彼らは僕よりも退屈に慣れているように見える。そうでなければ虹を写真に撮るなんてことは思いつかない。檻に閉じ込められたようなこの気分から、いったいいつになったら逃げきれるのか? それとも永遠に逃げられないのか。おそらくそうなのだろう。逃げられない。人生とはすなわち牢獄であり、生きることとはすなわち閉じ込められた状態に他ならない。ああ、写真の女は自らの手でその牢獄を破壊した。彼女はそうやって自分を解放した。僕にもいずれその手段をとらざるをえない状況が訪れるのかもしれない。それはいつのことになるのか。もしかしたら、それほど遠い先のことでもないのか………