歴史のある蒸留所 (Historic Distillery)

そのウィスキーは独特な味がした。甘味の中に舌をちくちく刺すような鋭い苦みがあって、でもなぜかその苦さが不愉快ではない。ひたすら飲み続けていると、だんだん頭の中である映像が実を結びはじめた。青くキラキラと輝く曲がりくねった模様が浮かんだ。僕はその色と形に見覚えがあった。たぶんどこかで似たものを見たことがあるのだ。バーのカウンターに肘をつき、頭を抱えるようにして、長い時間をかけて記憶をたどっていた。でも思い出せない。酔いのために錯覚を起こしているのだろうか?酒を飲んでいるときには実際にそういうことがよくある。知らないものを知っていると思い込んだり、はじめて見るものに対して見覚えがあると思ってしまったりする。
バーテンダーにウィスキーの銘柄を尋ねると、彼はボトルを持ってきてくれた。瓶の側面に貼られたシールに、ウィスキーについての情報が記載されていて、それを読んでみたが、得るところは特になった。長野県にあるQという蒸留所で作られたウィスキーである、ということがわかっただけだった。
僕は遅くまで飲み続けた。青いイメージは魅力的で、深く酔った頭の中で夢見るようにそのイメージと戯れることは、ほとんど快楽的だった。そのイメージは翌朝目を覚ましたあとにも、まだ残っていた。

インターネットでQ蒸留所を検索するとウェブサイトが見つかった。長野県北部の山中に位置する日本で3番目に古い蒸留所であるということだった。ウェブサイトには蒸留所周辺の風景を映した写真が掲載されている。山の中にS字型に蛇行する大きな川が流れ、そのほとりにQ蒸留所がぽつんと建っていた。その景色はどことなく日本には見えない。写真を眺めているうちにそこに実際に行ってみたいという気持ちが芽生えていた。しかし僕が住む山口県から長野県は、とても遠い。そしてQ蒸留所を訪れたところで、青いイメージの謎が解けるとも限らない。しかしそれでもやはり僕は行くことにした。行かなければならないと思ったし、久しぶりに旅行もしてみたかったのだ。蒸留所には一般客向けの見学ツアーがあり、僕はウェブサイトからその予約をした。

数日後、僕は新幹線で長野県へ。長野駅からバスに乗っておよそ一時間後に到着した停留所は、文字通り山の中にあった。写真で見たのと同じの大きな川が流れていて、それに沿って道を歩くと目的地のQ蒸留所にたどり着いた。
僕は見学ツアーに参加した。蒸留所内で、発酵する途中の液体が大きな枡のような箱の中を目にした。そこにはあのウィスキーの特有の香りが満ちていて、それをいっぱいに吸い込んだ僕はほとんど眩暈を覚えた。そしてそのとき、頭の中でくぼみに何かの欠片がかちっと音を立てて嵌まるみたいな感覚があり、そのはずみに僕は思い出した。輝く青いイメージが何に由来していたのかを。
それはずっと昔の、僕が子供のころの記憶だった。当時僕は頻繁にその青い模様を目にする機会を持っていたのだ。家の近くにあった楽器店の店頭に陳列されたエレクトリック・ギターに、その模様は刻まれていた。ギターのボディ部分に、ピックアップの間を縫うようにして、曲がりくねった青い線が塗装されていたのだ。その青い線は宝石のように強く美しい光を放っていて、僕はそれに魅了されたのだった。ギターなど弾けもしないのに、どうしてもそれが欲しいと思った。その青い模様を自分のものにしたいと思った。でもそれは高価だった。当時の僕にはとても手の届かない価格だった。僕の家庭は貧しかったので、僕はギターが欲しいという気持ちを家族に表明することさえできなかった。頼んだところで無理なことはわかりきっていたのだ。
あれほど何かを強く欲したことはなかった。深夜に楽器店に忍び込んで盗み出そうかと考えたことさえあった。僕はそれらのことについて今まで完全に忘れていた。幼い心に強烈に刻まれた、執念と呼べるほど強い思いは久しく記憶の底に埋もれたままだった。そのことは不思議だったが、おそらく僕は、あえてその記憶を消そうとしたのだ。叶うはずもない望みにとらわれ続けるのなら、いっそ忘れてしまったほうが楽だ、とどこかのタイミングで考えて、青い模様のギターを記憶から抹消したのだ。そうするためにはおそらく、相当な努力が必要だったはずだが、僕はその努力のことさえ覚えていないのだった。

ウィスキーの独特な味が僕の脳を刺激し、深いところに眠っていた古い記憶をよみがえらせたのだ。これはこのこのQ蒸留所で作られたウィスキーだけが持つ特別な魔力のようなものではないか?そのことについて、僕はスタッフの人に尋ねてみた。なぜこのウィスキーは僕の記憶を刺激したのか。
スタッフは怪訝そうな顔をして、そういうこともあるかもしれませんね、と答えた。知ったことではない、とでも言いたげな態度だった。

ツアーを終えて、僕はウィスキーを試飲した。飲みながらまたあのギターのことを思い出していた。今思うと大した値段ではなかった。子供のころはとんでもない大金に思えたけれども、今なら少し無理をすれば買えるといった程度の額だった。せっかくだからあのギターを探し出して買ってみようか。そんなことを考えながら、僕はグラスを口に運んだ。