ゲームへの愛

いい年してゲームをしない大人はろくなものではない。時間の無駄だと人は言うが、ゲームより無駄な時間の使い方はほかに山ほどある。そのことは僕はよく知っている。何しろこれまで僕はこれまで多くの時間を無駄にしてきた。僕は油断するとすぐにくだらない時間の使い方をしてしまう人間である。何もしない時間が怖くて、自分と向き合うことが怖くて、つい長々と堕落した無駄な時間を過ごしてしまう。

たとえば2時間テレビを見るのと、2時間ゲームで遊んだ後は、明らかに後者のほうが気分が良い。ゲームを遊ぶ間、僕は現実を離れて別の世界を旅していて、そんな旅から帰ってきたあとは、あきらかに元気になっているのだ。肯定的な気分になっていて、その時悩何かみや問題を抱えていたとしても、あらためてそれと向き合う気力がいつの間にか補充されているし、さらには意外な打開策を思いついたりもする。そうでない場合にもその問題がさほど苦しみをもたらさなくなっていることに気づく。なんだ、この程度のものだったのか、取るに足らないじゃないか、という気分になる。

2時間お笑い番組を見て笑う時間も楽しいかもしれない。笑うこともあるし、ストレスもない。しかし、あくまで個人的な感覚ではあるが、その楽しさは尾を引かない。その楽しさは番組が終わったとたんに、たちどころに消えてしまう。生ぬるいお湯につかっていたあとみたいに、そこにあったはずの楽しさはあすぐ冷めてしまう。2時間の間見てみぬふりをしていたいろんな問題は、2時間前と同じ形でそこにある。新しいアイデアもわいてこないし、行動を起こす気にもなれない。

コンテンツを消費しているだけという点では、テレビもゲームもさほど変わりはないかもしれない。でも過ごす時間の質というか純度が違う。テレビよりもずっと深く、ゲームプレイ中は集中して没頭している。自分の両手を動かして操作するという行為が没入感を生むのだろう。それはテレビ視聴にも読書にも映画鑑賞にもない要素で、おそらくスポーツに近い。ゲームを遊んでいる間、僕という人間は消える。そこにいなくなっている。僕は脳と指先だけの存在であり、僕という人間の根本的な部分はその間、どこかよそでほったらかしにされているのだ。その間はもちろん自分のことや自分の人生のことについてあれこれ思い悩むことがない。そういう一時的な空白状態に陥ることで、精神がリフレッシュされるのだと思う。ゲームより容易に、なおかつ手軽にそんなことを可能にしてくれる遊びは他にない。何しろ練習も訓練も運動神経も才能も必要ない。しかも一人でできる。スポーツよりずっと簡単。

そういう効果を知って僕はゲームに対する愛を再確認した。空白状態などを必要としない人は、おそらく幸福な人生を送っていて、そういう幸福な人たちが、ゲームなど時間の無駄だと主張する。でも僕のように絶えずこまごましたことに苦しめられる人間は、たとえばゲームのようなものによってときどき、自分を消し去る必要があるのだ。

 

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いちばん大好きなゲーム🤗