滅びる帝国

カーテンの縁が白っぽくなっていて、夜が明けつつあることを教えた。僕の帝国はほとんど完成していた。それは27インチのモニターの中で世界の全土を余すところなく征服しつくし、敵対する勢力はもはや意欲を失って投げ出したような不可解な行動ばかりを取り続け、気まぐれに戦争を仕掛けてきては我が国の誇る圧倒的な軍勢の前に返り討ちにされていた。その世界において僕は神であり帝王であり圧倒的に最強だった。宇宙にロケットを飛ばすことも出来るし、核爆弾でどんな国でも灰にすることができる。ライヴァル国は軍事力においても科学力においても我が国に遠く及ばない。他にもかつて14の国家と32の都市国家が存在したのだが、僕はゲームの序盤からただひたすらに武力の身を増強させ、それらすべてをとっくに滅ぼしていた。残るのはライヴァル国ただ一国だけだった。
すべての国を亡ぼせばその時点でゲームは終了となる。でも少しでも長く引き伸ばして遊びたかった僕は、ひとつの国家だけを残して、嬲り殺すようにじわじわと追い詰めながら、その最後の餌食と戯れていたのだった。相手国はすでに領土を拡張する手段もなく、もし核爆弾の開発にでも成功すれば一発逆転もあり得たかもしれないが、弱り切った国力でそれを完成させることは不可能に近く、結局そのいたぶるような戦争は思いのほか長く続いた。
でもいい加減にやることもなくなってきたので、僕は相手国に核爆弾を打ち込んでさっさと滅ぼし、ゲームをクリアをした。ゲームを終了させ、パソコンをシャット・ダウンすると、その直後に疲労が襲ってきた。疲労の存在に気づいた、とも言えるかもしれない。立ち上がろうとすると頭がくらくらしたので、しばらく僕は背もたれに身体を預けてぼんやりしていた。いつから何時間ほどゲームに取り組んでいたか、思い出そうとしたがなにもわからない。ただ頭が痛むばかりだった。
ようやく十数分後に椅子から立ち上がり、ふらふらと部屋を出た。そして台所に行き、冷蔵庫からジュースを出していっきに飲んだ。空腹を感じていたが、何か食べようという気にはなれない。最後にまともな食事をしたのがいつだったかも思い出せない。閉じたカーテンも外の光によって白く縁取られている。壁の時計は6時過ぎを示していた。今は朝なのだ。そう思うとなぜだか恐怖に近い気分だった。最後に外に出たのはいつだっただろう。何もかも忘れている。あの悪魔的なまでに中毒性の高いゲームにあまりに深く没頭してしまっていたためだ。どういうわけかある日、僕は購入して以来一年半ほどもやらないまま放置していたそのゲームを何の前触れもなく突然遊びたくなって、実際に遊びはじめた。その日以来ひたすらそのゲームを続けていた。食事と入浴と睡眠のほかには中断らしい中断もなかった。椅子に座ったまま眠り、空腹を覚えたら何か適当なものを口に入れる。そんなやり方で生命を維持しながら、ひたすらにゲームしていたのだった。何もかも吸い取られるように身も心もゲームに捧げていたのだった。そのゲームの中毒性の高さは有名である。たとえばSteamのレビュー欄などで、人々は熱心にそのゲームの中毒性について語っていた。――時間を吸い取られる、気がついたら朝になる、学校を留年する、アメリカではそのゲームの中毒者の社会復帰を支援する団体がある――でも僕は自分にはそういうことは起こらないだろうと思っていた。自分はそんなには没頭しないだろうと思った。そもそもそのゲームは大して面白そうだとも思えなかったし、難しそうな、とっつきにくそうな印象もあった。だからこそ購入から一年半も放置していたのだ。しかし僕も例外ではなかった。僕もやはりそのゲームに夢中になってしまった。最後に外出したのはいつだったか?(と改めて考える)ずいぶん前に、ごみを出すために家の玄関をくぐったのを思い出した。その正確な日付は忘れてしまったし、それにごみ収集所は家のすぐ目の前だから、そんなのは外出とは呼べない。僕は買い物にさえ行かなかった。冷蔵庫にある食材だけで、別に事足りていたらしい。

そんな生活を何日続けたのかは、パソコンを立ち上げればわかるはずだった。僕のデスクトップ・パソコンには、どのソフトをどれぐらいの時間使用したかを記録するソフトウェアが常駐されているのだ!僕はゲームのためにそれを導入した。その日にゲームを何時間遊んだのかを把握しておきたいと思ったのだった。でもパソコンのところに戻る気には今のところなれない。ひどく空腹だった。空腹は唐突に、身を刺すように襲ってきた。僕はポットでお湯を沸かしてカップ麺に注いだ。空腹があまりに激しく、そのために頭と身体が熱を持っているような感じさえして、手も震えていたので、お湯がテーブルに少しこぼれてしまった。そしてできあがるまでの3分が待ちきれず、その間に冷蔵庫からハムとか野菜とかを引っ張り出して食べた。
そんな嵐のような食欲に身を委ねたあと、僕はようやくまともな気分に戻りかけていた。僕はシャワーを浴びて歯を磨き、布団に入った。


目覚めたのは夕方だった。眠りは短く、浅かった。僕は眠るにしても疲れすぎていたらしい。目覚めて最初に行ったのはパソコンを立ち上げることだった。例の使用時間記録ソフトを見るためである。それによると僕が例のゲームを起動したのは10月2日、そして今日の日付は10月31日となっていた。その事実が意味するところについて、僕は考え込まずにはいられなかった。この記録が真実であれば、僕は一か月近くもゲームに没頭していたということになる。そんなことは信じられない。何かの間違いではないかと思って記録を一日ずつ見ていった。24時間が一本のバーで示されていて、使用したソフトウェアごとにそれに対応した色で時間が塗りつぶされるのだが、確かに10月2日の昼過ぎから、バーはほとんど一日中、ゲームを示す黄色一色に塗りつぶされていた。紛れもない自分の行動の記録でありながら僕は信じられなかった。しかしデジタル情報が嘘をつくはずはない。それは紛れもなく僕が行ったゲームの記録なのだった。平均して一日16時間ほど、僕は毎日そのゲームで遊んでいる。
一か月近くも、世捨て人のように僕はゲームのほかには何もせずに暮らしていた! 
まったくあれは恐ろしいゲームなのだ。僕は恐怖に近い感情を覚えた。いくらなんでも一か月もこんなに時間が吸い取られるなどとは思いもよらなかった。今思い返してみると僕はこの一か月をほとんど意識のない状態で過ごしていたような気がする。ゲームで遊ぶ興奮と集中のためにまともな記憶が残っていない。まるで知らない間に人生を一か月ぶん盗まれたみたいだ。
確かにゲームで遊ぶことには精神に良い作用を及ぼすと僕は信じている。ゲームに没頭することでストレスや悩みや不安といったものをほとんど消し去ることができる。確かに今、僕の心も頭も浄化されたみたいにすっきりしていた。でも浄化され漂白されすぎて、ほとんど虚ろな感じもした。何だか手放してはいけない大事なものまで流されてしまった気がする。
一か月の間、社会には何ごとも起きなかったのだろうか。知らない間にどこかで天変地異が起こったり戦争がはじまったりしていないだろうか。ニュースを閲覧しようとしてブラウザを立ち上げたが、すぐに閉じてしまった。ニュースを読む気分になれない。ニュースサイトにアクセスする気分になれない。頭が情報を拒んでいる。漂白され過ぎてしまったのだ!情報を浴びることに怖気づいてしまっている。日本語の文字列をちょっと目にするだけで、なぜか苛立ってしまう。文字は毒のように見えてくる。
僕はパソコンをスリープさせて、散歩にでも出かけようと思った。

 

何かがおかしい、と家を出た直後に思った。僕はしばらく近所の景色を眺めていた。もっともこういう感じを覚えることは珍しくない。気分が普段どおりでないとき、景色もまたどこか変に見えるものだ。たいていすぐにそんな違和感は消えてしまうが、今日はなぜか増大するばかりだった。まるでよく似た別の場所にいるような、あるいは同じ場所の過去の景色を眺めているようだった。とにかく僕は散歩にでかけることにした。近所を一周して、家へ続く道を反対側から歩くとき、ようやく僕は違和感の理由に気づいた。気づいてしまえばおそろしく単純な理由だった。つまり僕の家の向かいに建っていた家がなくなっていた。その土地は更地になっていたのだった。空き地の外周に沿って細い鉄の杭が立てられ、ロープがかけられている。確かにここには家が建っていたはずだ。女性が一人で住んでいた。50歳前後の、耳鼻咽喉科の医師の女性だった。奇妙なほど表情に乏しい女性だった。あの女医は、どこへ行ってしまったのか?僕は空き地の前で立ち尽くしながら考え込んでいた。そのうちに誰かがそばを通りかかって詳しい事情を教えてくれるのではないか、と期待していたのだが、もともと人通りの少ない地域なので、そんな人は現れなかった。それで僕は仕方なく隣の家のインターフォンを鳴らした。それは「山尾」という家で、顔をあわせれば挨拶はするといった程度の付き合いがある。玄関のドアが開いて、初老の女性、すなわち山尾家の奥さんが出てきた。僕は一応名前を名乗り、それからなくなった家のことを尋ねた。
山尾夫人はびっくりしたような表情を浮かべた。こないだの火事で焼けたんよ。すごい騒ぎやったやん。消防車が何台も来て。…知らんやったん?と夫人は言った。かなりの大火事だったらしいが、そんなことは僕は全く知らなかった。いつのことかと尋ねると、10日ほど前の夜中のことだという。家は全焼しなかったものの、大部分が焼け落ちてしまったので、取り壊すほかはなかったそうだ。出火の原因は不明らしい。耳鼻咽喉科の医師の女性は全身を火傷して入院しているということだった。

僕は山尾さんに礼を言って去った。僕はショックを受けていた。その火事のことを全く知らなかったことに。10日前の夜中、その日の具体的な記憶はないけれども、間違いなく僕は目覚めていたはずだ。ここ最近はいつも明るくなってから布団に入っていたので、夜はずっと起きていた。そしてひたすらゲームをしていた。つまり僕はあまりに深くゲームに没頭していたために、火事の騒ぎに気づかなかった、ということになる。でもとても信じられないことだった。向かいの家が燃えて、パトカーやら救急車やら消防車が何台も集まったのに、それにまったく気づかないほど僕は深く集中していたというのだろうか?だいたい僕はそんなに集中力のあるたちではない。集中するあまり一切が目に入らず耳に届かなくなる、といった表現を、どこかで読んだり聞いたりしても、そんなのは嘘だと思っていた。そんなことはあるはずはないと思っていた。でもそれがどうやら僕の身に起こったらしい。起こったと認めないわけにはいかない。何しろ向かいの家はなくなっている。

再びがらんとした空き地の前に立つ。なぜか泣きたい気分だった。焼けてしまったあの家が建ったのは確か15年ほど前のことだった。それ以前はその場所はただの原っぱだった。幼いころ、僕はその原っぱでトンボを追いかけたり、凧揚げをしたりサッカーをして遊んだものだった。そのせいで時間が逆戻りしたような錯覚に襲われたのだ。

いずれもっとひどい災害とか、戦争めいたことがごく近くで起こっても、僕はそのときにもゲームに没頭していたり、あるいはゲームでなくても何かに気を取られていて、その間に気がついたらあたりが焼け野原になっていたとか、そういう馬鹿みたいなことは起こりそうな気がする。