喪失についての悲しい歌

ずっと昔、まだ小さいころ、僕は山口県萩市に住んでいた。そのころ近所に住んでいた男の子と仲が良かった。(彼の名前は忘れてしまった。)彼とはよく「ニュースキャスターごっこ」をした。テレビのキャスターが、手元のニュース原稿を音を立ててめくったり、あるいは横にいるディレクターから受け取ったりする姿が、当時ひどく魅力的に見えて、それで真似したのだった。我々は原稿がパラパラと音を立てることこそ、そのごっこ遊びにおける最大の重要な点だと考えていたので、二人で原稿を書いたはずだ。まだろくに文字も書けないのに?
その友達の家に遊びに行くと僕はよく飴をもらった。僕は黄金糖という飴が好きで、友人のお母さんもそのことを知っていて、それを一袋まるごとくれるのだった。僕が黄金糖を持って帰る度に、母親は少しうんざりした顔をした。(またあんた、そんなものもらって……)もちろん真剣に怒るほどではない。あとで友達のお母さんにお礼を伝えなくてはならないことが億劫だったのだろう。

僕は幼稚園に入る前に萩を去った。ときどき懐かしくなって、一度記憶を頼りに、住んでいた家の周辺の景色を絵に描こうとしてみたことがあったのだが、あまりに記憶がおぼろげなために、つかみどころのない意味不明の曖昧な絵ができた。
黄金糖と聞くとなぜか悲しい気分になる。なぜ悲しくならないといけないのかわからない。嬉しい気持ちを思い出すのならともかく。なにしろ2歳とか3歳のころのことだからほとんど何も覚えていない。何か黄金糖にまつわる悲しい出来事でもあったのかもしれない。僕が記憶していない出来事というのはたぶん山ほどあって、というより覚えているものより覚えていない物事のほうがずっと多いはずで、そういう出来事の記憶がすっぽり失われて、ただ気分だけ残っているのかもしれない。

😢
失うことは悲しい。好きな場所がなくなる。大切な人が遠くへ行く。大切な記憶を忘れる。人が死ぬ。動物が死ぬ。海が埋め立てられる。大好きだった絵本が見つからない。
人生は失うことの連続である。だから人生は悲しい。
目を閉じて、いちばん悲しい歌を思い出そうとしていたら、いつの間にか眠っていた。


空き地に一人で立ち、目を閉じる。今は何もないこの場所にもかつては何かがあったのだ、と僕は思う。いろんな人がその地面の上を通り過ぎて、まざまな感情や記憶をその場所に残し、そしてどこかへ消えていった。僕は足元に意識を集中させ、かすかに残るそうした記憶や感情の痕跡を感じ取り、それらを地中から吸い上げようとする。まるで樹が土から養分や水分を吸収するように。そうだ、根というのは素晴らしいものだ。僕は樹木を眺めるとき、地面に伸びるがっしりした、大地にしがみつくような根の様子に、ほとんど感動を覚えてしまう。
冷たい感触とともに記憶の残骸が立ちのぼってきて、足元から体内に流れ込み全身を駆け巡る。実にいろんな記憶がある。悲しい記憶、怖ろしい、おぞましい、喜ばしい、輝かしい、祝福に満ちた思い出。冷たくかたく強張った恐怖の記憶もある。直視するのが耐えられないほど怖ろしい無残な記憶。死者の無念さが、恨みが、怒りが、ありのまま残っていたりもする。強烈な思念の残滓。それはどんな炎でも溶かせない黒い氷。

土地に宿る記憶、それは結局のところ僕の想像の産物でしかない。でも想像するという行為そのものが僕を慰撫する。僕は空っぽの容器になり、その内部で自由に想像力を遊ばせる。

子供のころから、僕はその遊びを行っていた(そう、僕にとってそれは遊びなのだ。他の言い方は思いつけないし、ふさわしいとも思えない)。たとえば学校の校庭の片隅にひとりで立ち尽くして、何もせずそうやって想像していた。他の子供たちは、僕のそんな様子を見て気味悪がった。からかったり、石を投げつけたりした。彼らは僕を変な奴だと言った。
成長した今でも僕はおなじことをしている。道端で、公園で、立ち入り禁止区域に立ち入ってまで、あちこちで記憶を吸い上げている。通りがかる人々が不審げな目で見る。でも僕はやめられない。なぜならこの遊びは時間旅行なのだ。タイムマシンに乗っているようなものだ(「これってタイムマシンじゃない?」)……そんな楽しいことはやめられるはずがない。

ほかのだれもがそうであるのと同じに僕もまた失い続けてきたしこれからも失い続けることだろう。若さを失い、情熱を失い、健康を失う。手元に価値あるものがもうわずかにしか残っていないときでも、やはり人は何かを望むのだろうか、望まないのだとしたら、何も望まずに生きるというのは、どんな気分がするものなのだろうか。そんなことが可能なんだろうか。

🚋

僕は電車に乗っている。一人で、3時間近くも、山陰本線を、下関から萩まで。しかし僕は、萩駅で下車するまで、なぜか一度もそのことに考えが至らなかったのだが、かつて住んでいた家の住所を知らなかった。番地も町名も知らなかった。だいたいの見当さえつかない。僕が考えていたところでは、萩に着くやいなやたちどころに次々と思い出がよみがえってきて、ああこの道は覚えている、この景色にも見覚えがある!といったふうな状態に陥るはずだった。しかしそんなことは起こるはずがない。繰り返すようだが当時僕は2つか3つで、記憶などないに等しい。
住所を知っているのは両親だけ、でも両親に尋ねることはできない。彼らはもう遠く、永遠にどんな質問も届かない場所へと旅立ってしまっている。
仕方なく僕は町を歩き回る。どれだけ歩いても、どの景色にも見覚えがなかった。ときどき立ち止まって目を閉じ、頭を「記憶吸い上げモード」に切り替えてみたが、その能力は、その日はまるで働かないのだった。
あてもなく長時間歩いたあと、目に着いたうどん屋に入って食事を済ませた。それからまた歩き、何枚か気のない写真を撮って、駅に戻って電車で帰った。
車窓からの眺めは次々に移り変わり、どんどん後方へと退いてゆく。そのうちに夜になった。
景色に飽きるように失うことにも慣れる。誰もがいずれそれに慣れる。そうやって年老いてそして死ぬ。……