遅くなる世界

丘の上から夕陽を眺めていると、ときどき時間が遅くなる。太陽は水平線の向こうに少しずつ隠れてゆくのだが、その途中で地球の自転がゆっくりになるのか、ぎらぎらする赤い領域はいつまでも同じ面積を保ったまま、なかなか狭まらない。まるでそこにとどまりたがっているかのようにそれは沈み切ろうとしない。したがって夜の到来もわずかに先延ばしになる。いや、これは錯覚ではない。僕はこれまで何度も丘から夕陽を見下ろしているのだし、何度も確かめたから、ほぼ間違いのないところなのだ。

夕方のその時間帯には、丘の下の道路はたいていひどく混んでいる。仕事を終えた人々が帰り道を急いでいるのだ。彼らは海にも空にも夕陽にもろくに目をやることなく、ただじれったそうに車のフロントガラスから前方を睨んでいることだろう。日没の遅滞にも気づかず、早く帰宅して入浴したり食事したりすることだけを、考えているのだろう。

こうした時間の異常はおそらく、ある種の世捨て人とかつまはじきものにしか感知できないものなのだ。つまりは僕のような。あの自動車の運転手たちのように、正しく社会に組み入れられてしまった人々には、そんな現象に気づかないし、そもそも用がないのだ。

僕はのろのろと太陽が水平線の向こうに呑み込まれるのを最後まで見ていた。するといつしかあたりは暗くなっていて、自分の手のひらも見えなかった。