人面アザラシ

海で釣りをしていたら、岩の上に何か動くものを見つけて、それはどう見てもアザラシだった。僕は驚いて目を疑った。こんな西日本の海に野生のアザラシなどいるはずはないし、それにそのアザラシはひどく変わった形をしていた。つまり顔の部分が人間にそっくりだったのだ。まるで首だけ人間のものを移植したみたいなありさまだった。人間と同じ形の目と鼻と口と耳、頭にはちゃんと黒々した髪の毛まで生えていた。人間の、5、60歳ぐらいの男の顔に見えた。その顔には何だかひどく悲しげな、泣きだす寸前のような表情が浮かんでいた。閉じた目は深く垂れ下がり、下瞼から鼻にかけて細かい皺が刻まれ、口元はへの字に結ばれている。漫画みたいに悲しみをくっきりとあらわした表情だった。

僕はぞっとするやら面白いやらで釣りどころはなくなり、そのアザラシ(のような生き物)を眺めまわしたり、カメラにおさめりしていた。すると沖から小さな漁船がこちらに近づいてきて、岩場のへりに停泊した。乗っていた漁師がその人面アザラシの脇腹のあたりを銛で勢いよく突いた。アザラシは甲高い声をあげて身をよじらせた。その声はやはりたとえ人間そっくりな顔をしていてもアザラシなのだと思わせる声だった。漁師は顔色一つ変えず、人面アザラシを網にくるんで船に引っ張り上げた。すぐに船は再び発進して海上を滑り去っていった。

すべてはあっという間の出来事だった。僕はしばし茫然としていた。銛で突かれて痛みに顔をゆがませたときの人面アザラシの表情は、名前は忘れてしまったが何代か前の日本の総理大臣によく似ていた。というよりそっくりだった。その顔が脳裏に刻みついて、長い間消えなかった。