誰が彼を殺したか?

男が死んだ。よく知っている男だった。私はその男のことを殺したいほど憎んでいた。何度となく想像の中で殺したことがある。私がその想像を実行しなかったのはそれが犯罪だからではない。殺すだけでは飽き足らないことがわかっていたからだ。殺しても憎しみは消えないはずだし、でもそのときにはもう一度殺すことはできない。それなら何もしないほうがましだ、という理由で私は彼を殺さなかった。

そんな男が死んだ。しかも殺されたのだという。警察の発表では、被害者はひどく残虐な拷問を加えられた挙句にその過程で命を落としたのだということだった。その殺害方法は、もしあの男を殺すのならそんな風に殺したい、と私が常日頃から思い描いていたやり方と同じものだった。

もし事件が起きたその日に、私にアリバイがなかったら、私は自分が夢遊病者である可能性を疑ったかもしれない。自分が眠りながら無意識のうちにあの男を殺したのではないか、と真剣に考えたかもしれない。しかし私にはアリバイがあった。それも完全なアリバイだった。男が殺された日、私は旅行に出かけていた。ただ何となく非日常な気分を味わいたくて出かけた一泊二日の小旅行だった。宿泊したホテルには私の筆跡による宿泊カードが保管されているはずだし、そして男が殺されたと推定される時刻には、私はホテル一階のレストランにいて、ワインをこぼしてウェイターを困らせていた。あのウェイターは間違いなく私のことを覚えている。レストランにいた他の客も私の顔を覚えているかもしれない。

よりによって問題の日の問題の時刻に、ワインをこぼすというめったにやらないようなことをやらかして、私は自分の存在を周囲に印象付けていたのだった。私のアリバイはいやがうえにも完璧だった。その完璧さに我ながら舌を巻いてしまう。すべて偶然起こったことだというのに。

もしミステリー小説だったらアリバイの完璧さのためにおそらく私は疑われる。そして名探偵の執拗な追及にあうことだろう。そして私が、被害者の男を人知れず深く憎んでいたことも、いずれ露見するだろう。

でもやったのは私ではない。ということは、彼を深く憎悪していた人物が他にもいたということになる。それはいったい誰なのか、私のほかに誰が、あの男をそんなに憎むというのか?私は死んだ男のことをよく知っているからこそ、確信を持って言えるのだが、あの男はそんなにめったに人に嫌われたり憎まれたりするタイプではない。

とにかくすぐに犯人が捕まるだろうと思っていた。それなのにあろうことか、何か月経っても続報はなかった。疑惑はどんどん深まっていった。自分が殺したのではないか、という疑惑。自首しようかとさえ考えた。でもどう考えても私は無実だった。物理的に私にはその犯行は不可能なのだ。その事実は私をむしろ苦しめている。あの男が死んだことを喜ぶ気持ちなど、少しも持てずにいる。

いまだ犯人は捕まっていない。このままだと迷宮入りするかもしれないという話である。