醜い7人組バンド

そのバンドのメンバーは7人いて、7人全員が醜くて、それもちょっとやそっとの醜さではなかった。世界で最も醜い7人を集めたみたいだった。そのうえ全員のファッションセンスが終わっていて、みんなそれぞれ変なトレーナーとか、変な帽子とか変な耳飾りとかを身に着けている。
それでいてバンドの音楽性は決して不格好ではなく、むしろ洗練されていた。フルートやコントラバスを含む特殊な編成の、ジャズ風プログレッシヴ・ロック・バンドであり、演奏も楽曲もクオリティーが高かった。複雑で想像力に満ち、個性に満ちていた。でもやはり、彼らの容貌と比較すると、音楽のほうは何となくインパクトを欠く印象が否めない。

このお話の主人公である青年は、そんなバンドから加入の勧誘を受けたのだった。青年はバンドについて何も知らなかったので、一度ライヴを見に行った。そこではじめてバンドのメンバー全員の容姿を目の当たりにして、ショックを受けたのだった。
青年は考え込まないわけにはいかなかった。青年は自分のことを醜いと思ったことはない。むしろ容姿はいいほうだと思っていた。他人に顔だちを褒められたことさえ、何度かあるのだ。それなのにあんなバンドから勧誘を受けたということは、つまり自分の風貌は、彼らと同類だと思われたのだろうか。あの見た目なら自分たちの仲間にふさわしい、と彼らにみなされてしまったのだろうか?そのことを思うと青年を少し不愉快になる。

『銀水仙』(それが7人組バンドの名前だった)のメンバーはステージ上で、まるで自らの醜さに少しも気づいていないかのようにふるまっていた。醜いことを恥ずかしいとも申し訳ないとも、まるで感じていないように見えた。いったいどんな人生を歩んだら、あの風貌で、あんあ顔だちであんなに自信に満ちていられるのだろう、と青年は考え込んでしまう。
他の観衆はそんなことは気にしないらしい。彼らはメロディーを一緒に歌ったり、メンバーの名前を叫んだりしていた。ざっと見渡してみた限り、『銀水仙』のファンは特に容姿の醜い人ばかりというわけでもなかった。

ヴォーカリストがときどき曲間に喋った。そのヴォーカリストは、メンバーの中でもひときわ自己愛が強いように青年には見えていたのだが、いかにも憂鬱そうに、いかにも陶酔しきった様子で、囁くような声で客席に語り掛けたりしていて、醜い人間によるそのようなナルシスティックなふるまいは滑稽だったので、青年はつい笑ってしまったのだが、他の観客は誰も笑わなかった。

評判通り楽曲はよかった。いくつかの曲は繰り返し聴きたいと思ったほどだった。でも青年は彼らの音楽に心を動かされることはなかった。その原因はバンドのメンバーの醜さのせいにある。そうとしか考えられない。どんなに優れた音楽を演奏しようと、あんなに醜ければ結局何も生まれないのだと思った。青年は、自分がそんな差別的な考えを抱いたことに愕然とした。でもどうしてもその結論を退けることはできない。

ライヴを見終わった後、青年は心を決めていた。穏当に断る口実をずっと探していたのだが、もうそんなことをするつもりもなかった。はっきり言えばいいのだ。お前らみたいな醜い連中と一緒に演奏することなどできない、こっちにまで醜さが伝染してしまう、二度と関わらないでほしい、と。
そうだ、最初から何となく嫌な予感がしていたのだ、終演後のライヴハウスで、リーダーが近づいてきたとき、その顔を見たときからずっと。