父について

部屋のスピーカーから音楽が流れる。ジョルジ・リゲティの『ロンターノ』。ハルはその曲を聴くと父を思い出す。そして同時に、父がいつも四六時中ひっきりなしに吸っていた煙草の煙の匂いも。父の部屋ではいつも煙がもうもうと立ち込めていて、そしてたいていこの音楽が響いていた。

父は会社員だった。そして会社で働くという行為に、尋常ではない情熱を抱いていた。毎朝決まった時刻に出かけ、決まった時刻に帰宅する。そのサイクルを崩すことなく定年まで勤めあげた。父はその生活を愛していたのだ。そうだ、あの男はそんな生活を飽きもせず何十年も繰り返して、ただの一度も不満を覚えたことがないに違いない。いや、それは単なる自分の印象ではない。実際に父はそうしたことを口にしていなかったか。会社に通うのは楽しい、毎日決まったとおりのことをするのが好きなんだよ、それは楽しいし心地よいことだよ、いつだったか、父はそんな風に言ったことがあったはずだ。

ハルは父のそんな生き方にあこがれたことは一度もない。会社勤めとは地獄のようなもので自分には耐え難いだろう、と幼いころから漠然と感じていた。自分は父の性質を全然受け継がなかったとハルは思う。無自覚に父の生き方に反発していたのかもしれない。父親とは仲が悪いわけではなかったが、とくに親密でもなかった。もし赤の他人だったら、父は自分にとって嫌いな種類の大人だったのではないか、という気がする。

はっきりと嫌いだったと言い切れるのは、父が吸う煙草の煙の匂いだけだ。父は極端な愛煙家で、どこでもことあるごとにひっきりなしに煙草を吸った。父の身体にも髪の毛にも衣服にもすべてが煙草の匂いが染みついていた。部屋にあるすべてが灰をかぶり脂の色に汚れていた。父は定められた運命を律儀に辿るように肺癌を患って死んだのだが、癌を宣告されたあとでも喫煙をやめようとしなかったし、死ぬまで吸い続ける、と家族や医者の前で宣言したりもした。
「煙草を吸う人間が、世界で自分一人だけになったとしても、吸い続けるよ」と父はよく言っていた。彼は明らかにその台詞を気に入っていた。ずっと後になって、ハルは別の何人かの喫煙者が同じ意味の台詞を発するのを聞いた。彼らもまた父と同じように、その言葉を口にするとき、どこか満足げで、誇らしげで、自己陶酔的な気分でいるようだった。そのことは声の感じから伝わってきた。そのときハルは、喫煙者というのは喫煙という行為に、ある種のロマンを抱いているのだろうか、と思った。

父は苦しみながら死んだ。病室のベッドに横たわった父は人間というより干からびた粘土細工のようだったし、ひっきりなしに胸を上下させて酸素を得ようとしていたがうまくできずに、ときどき乾いた咳をするばかりだった。目にはめったに見慣れない色が、つまり絶望と恐怖の色が浮かんでいた。父の肺は救いがたく蝕まれていたのでもし癌にならなかったとしてもろくなことにはならなかっただろうと医師からお墨付きをもらったほどだった。苦しみがそれほど長く続かなかったことは父にとって幸いだった。彼は夜中に死んだ。そのとき、ハルは病室にいなかった。

父はけっこうな額の遺産と、灰にまみれた書物とCDとを残した。『ロンターノ』が収録されたリゲティのCDは遺品の一つである。今日、ハルはその曲を繰り返して3度聴いた。
なぜ彼はこんなよくわからない曲(とハルには思える)を、あんなに気に入って何度も聴いていたのか?

ハルの父に対する無意識化の反発心は今も続いている。煙草は一度も吸ったことがないし、通勤する必要のある職業は選ばなかった。