あるちょっとした炎上の思い出

ずっと以前のこと、ブログに投稿した文章が原因でちょっとした炎上みたいになった。僕は自分のブログであるミュージシャンを批判したのだ。誰かがその文章をある掲示板にコピーアンドペーストして投稿して、それがミュージシャンのファンの怒りを買ってしまったたらしく、大勢の人々が僕のブログに押し寄せて来たのだった。いつになくブログのアクセスが増え、コメントにひどい言葉が書き込まれた。

そのブログ記事は、かなり以前に書いたものだったので、僕はそれを書いたことを自分でも忘れていた。そのせいか僕はどこか他人事のような気分でその騒ぎを眺めていた。コメント欄で見知らぬ人々からどれだけ非難され中傷されても、傷つきもしなかったし、さほど腹も立たなかった。それどころかむしろ僕は彼らに共感する気持ちがなくもなかった。僕が書いた文章は確かに高圧的で偉そうで、視野が狭く想像力に欠けていた。つまりは愚かしい文章だった。僕は読みながら、それを書いた人(すなわち過去の自分)に対して、こいつ馬鹿じゃないかと思ったし、生意気だとも思ったし、こんな考えの持ち主は軽蔑するほかはないとも思った。

騒動の発端となった掲示板を覗いてみたところ、そこにも同様に、僕を非難する書き込みが数多く目に付いたが、それを見てもやはり僕は何も感じなかった。見知らぬ他人が攻撃されているのを眺めるのと同じだった。
僕はその掲示板に書き込みをおこなった。自分を擁護するためにではなく、僕もそこにいた多くの人々と一緒になって、過去に自分が書いた文章をけなしたのだ。いわば自分が原因で起きた炎上に加勢したのだった。もちろん匿名だったので、その書き込みが当事者である僕によるものだとは気づかれることもなかった。僕の書き込みは似たような内容の多数の書き込みの中に埋もれた。

ごく小規模な炎上だったので、すぐに鎮まったし、僕の実生活には何の影響もなかった。すべてのほかの炎上騒ぎと同じように、時期を過ぎると完全に忘れられた。
奇妙なことに、素性を隠して自分を批判するとき、僕は快感に似た感覚を覚えていた。そのことが忘れられない。似たようなことをやったことがある人は、意外とけっこういるんじゃないかという気がする。