山から下りてきた異常な人物

犬の散歩のとき登山口の前を通りかかったら、山から人が降りてくるところだった。もちろんそれ自体は驚くようなことではないのだが、僕は思わず足を止めた。その人影は明らかに異常だった。どう見ても山を歩く人の服装ではないことが、遠くからでもわかった。全身をすっぽり包むローブのような服をかぶり、背が異様に高く、いや、背が高いというより頭が以上に大きくて、シルエットの三分の一ほどを頭部が占めている。まるで頭の部分だけレンズで拡大しているみたいで、遠近感が狂うようだった。

近づいてくるにつれ人影の容貌がよりよく見えてきた。身に着けていたローブのようなものは、赤い生地に金や紫の装飾が施された着物で、裾の部分は虹のようなグラデーションになっており、角度によって色が変わった。また全身にありとあらゆる装飾が施されていた。髪飾りや冠、宝石のように光る巨大な耳飾り、幾重にも重ねらた首飾り、その他たくさんの装飾品が歩くたびに揺れて、シャラシャラと音を立てながら、反射する光をあたりにまき散らしていた。王侯貴族のように派手で煌びやかな衣裳だったが、顔つきの印象は地味で、白粉で真っ白に塗りつぶされたその顔は、仮面のように無表情で、目は細く、鼻は極端に低くて、まるで紙に描いたみたいに陰影に乏しい顔だちだった。性別も判別できない。

そんな人物が山道を降りてきた。もしかしたら宗教的な祭祀とか、そうした儀式や祭礼のための、扮装なのかもしれない、と僕は考えた。でも他に人が見当たらないのはなぜだろう。なぜあの人物は一人きりなのか?そしてどうして犬は反応を示さないのか。
そう、僕の飼い犬は異常な人物には目もくれず、道端の植物と戯れていた。いや、あれはおそらく仮装ではあるまい、と僕は思う。山を下りてきたにしては服装は汚れてもいない。登山客などであるはずはないし、おそらく生きている人間ですらない。あれは死者なのだ。遠い昔に死んだ何者かなのだ。いつしか僕はそう確信していた。この山の一部は墓地になっており、過去にこの土地で起きた戦争で没した戦死者が祀られている。幽霊が現れたとしても驚くことではない。丘陵に立ち並ぶ数多くの墓のいずれかのもとに埋められていた何者かが、霊になってよみがえったのだ。犬が見向きもしていないことが僕の確信を後押しした。この犬は珍しいものに対して必ず何らかの反応を示す。しかしそのとき、犬はまるで何ごともないみたいに無視していた。動物でさえ感知できない存在を、僕は目にしていたというのか……。

異常な人物は登山口から道路にでてきた。そしてこちらには目もくれず、僕が来た道を歩き去っていった。あたりに人通りはなく、去り行くその背中を見つめているのは僕一人だけだった。